足立佑介‘s diary

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福島の偉人

 

こんにちは。

 

足立佑介です!

 

経営は歴史からも学べとあるように

僕も史実から物事を学ぶようにしています。

その中で

偉人の生き方からも多くの学びを得ています。

 

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そこで、僕の好きな偉人を

47都道府県別に紹介していきます。

 

 

福島の偉人

 

どの分野においても

圧倒的な成果を残している人は

間違いなく努力しているし

魅力的な前提を持っています。

 

私の尊敬する人物の中に

野口英世がいます。

 

野口英世という人

 

野口英世と聞いて

まずは 頭に浮かぶのは千円札でしょう。

お札になるほどの人物。

その功績を残すまでに

一体どんなことがあったのか。

 

生い立ち

 

彼は1876年(明治9年)11月9日

福島県耶麻郡三ッ和村三城潟(現:猪苗代町)に生まれます。

 

1歳の時に囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負い

指が張り付き動かせなくなってしまいます。

 

15歳の時、左手を治す手術を受け

左手が使えるようになったことに感動し

医師を目指すようになります。

 

21歳で北里柴三郎が所長の

伝染病研究所へ勤め始めます。

 

27歳の時婚約していた女性との

結婚資金を渡航代にあて

アメリカへ渡ります。

 

36歳にして功績が認められ、

アメリカで名が知れ渡り、

東京大学より理学博士の学位を授与されます。

 

41歳、まだワクチンのなかった

黄熱病の病原体発見のため、

黄熱病が流行しているエクアドルへ行きます。

 

50歳、アフリカへ黄熱病研究のために出張。

 

51歳にして黄熱病病原体を特定し、

その後、黄熱病と診断され、入院。

1828年5月21日、英世は病室で死去。

51年の生涯を閉じました。

 

野口英世の名言

 

ここでは

野口英世の残した数ある名言の中で

特に好きなものを紹介します。

 

◆志を得ざれば再び此の地を踏まず◆

 

◆家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。◆

 

◆人は能力だけでは、この世に立つことはできない。たとえ、立身しても、機械と同様だ。人は能力と共に徳を持つことが必要である。◆

 

彼の生涯を見た時に

その覚悟コミット

言葉からひしひしと伝わってきます。

 

野口英世の名言は

本当にどれも素敵なものばかりです。

興味の持たれた方は

ぜひご自分で調べられると良いかと思います。

 

野口英世の生き方

 

野口英世

人生の目的を達成するために、

リスクを取り続け

最期まで人に与え続けた

そういう人物のように感じます。

 

その生き方を

いち経営者として、

1人の人として

僕は本当に尊敬します。

 

どこまでいっても自分が源

ビジョンを追いかけ続ける。

その姿が人に与えていくと思いますし、

何より徳のある生き方だと思います。

 

僕も常に与える経営者であり続けます。

 

#足立佑介 #福島 #偉人 #経営者 #野口英世 #自分が源 #ビジョン

 

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