【渋沢栄一】人望
こんにちは。
足立佑介です。
今回は、「渋沢栄一」さんです。
「日本資本主義の父」と称されている偉大な方です。
飛鳥山に渋沢資料館があります。
元々は渋沢栄一の邸宅だったところです。
晩香蘆(ばんこうろ)という西洋式木造茶席(重要文化財)が、庭園にあります。
晩香蘆は清水建設の4代目当主の清水満之助が、渋沢の長年の清水建設への支援へのお礼で、渋沢の喜寿祝いとして寄贈したものです。
清水建設は公共事業に頼らず、民間企業のビルを多く手掛けることで発展してきた企業です。
渋沢が「官庁工事をやるより、会社や、工場、一般家屋をやるのが良い」と忠告し、方向性を決めたようです。
そして渋沢の支援があったからこそ、清水建設は次々と受注することが出来たと言います。
渋沢資料館の庭園には他に6、7ヶ所、建物がたっていたのが、晩香蘆以外は、東京大空襲で全て焼失となっているそうです。
では何故、晩香蘆だけは焼けずに残ったのでしょうか。
近所の人たちが「渋沢さんに日ごろからよくしていただいているから恩返しだ」と空襲の時にみんながバケツリレーをして火を消したのだそうです。
渋沢栄一は庶民にも好かれる、人望の厚い立派な人物であったのだということです。
与えると、返ってきます。